2020年2月27日木曜日

今日のランチ(2020.2.27) ※卒業お祝いメニュー

ナン・キーマカレー・シーフードサラダ・牛乳・ミニケーキ

0227

 

 

 今日は3年生の登校日です。久しぶりにチャペルの席が埋まりました。やはり3年生がいると雰囲気も変わります。明日は卒業祝福礼拝です。例年とは違う対応となりますが、体調を万全にし、無理のないようにしてください。

 

 明日はランチレポートがないのでこの場をお借りします。少し早いですが、3年生の皆さん卒業おめでとうございます。皆さんとの関わりは1年しかありませんでした。初めての敬和、初めての行事。3年生が全校を力強く引っ張ってくれました。一番心に残っている行事は賛美歌発表会です。さすが3年生、どのクラスも圧巻でした。私は敬和を“行事に熱い思いがある学校”だと思っています。“歌う”という場面においては特に思いが込められていると思います。私が初めてハレルヤを聴いたのは4月のウェルカムデーでした。なんとなく聴いたことのある曲が一瞬にして思い出の曲となりました。「神を褒め称えよ」という意味のあるハレルヤ。このハレルヤによって50回生・51回生は52回生を迎えました。50回生は、今度は成長した51回生・52回生にこの歌で送られます。明日は集大成です。楽しみにしています。

 

 今日は3年生とランチを食べました。3年生と食べるのはこれで本当に最後です。いつも美味しいランチを囲みながら、時にはメンバーが入れ替わり、楽しい時間を過ごせました。放課後も、休み時間も、たくさんの楽しい時間をありがとう。「今日の○○めっちゃ美味しい」「敬和での思い出はランチ」「○○おかわりしたい」「先生、今日のメニューは何ですか?」「先生、おかわり行ってきていいですよ」。ランチのことたくさん話しましたね。そんな敬和ランチ最後のメニューはキーマカレー、ナン、サラダ、ケーキ。ピリリと辛いキーマカレーは甘いナンによって中和されます。デザートのケーキで口の中いっぱいに幸せが広がり手を合わせます。

 

「ごちそうさまでした。」

(I.Y)



2020年2月26日水曜日

今日のランチ(2020.2.26)

ごはん(ふりかけ)・牛肉コロッケ・キャベツサラダ・味噌汁・牛乳・グレープフルーツ

0226

 

 

 私が敬和に来て1年目からランチレポートを書かせていただき、もうすぐ2年が経とうとしています。去年はレギュラーの先生方が何らかの事情で書けない時の代打としてのレポートだったので、結果を出そうとはりきって取り組んでいました。(今もはりきって取り組んでいます。)

 2年目も最初はなかなかレギュラーの座を奪うことができず、代打でも思うような評価をいただくことはできませんでした。しばらくして、水曜レギュラーの先生はランチレポートを引退し、私は念願のレギュラーになることができました。

 喜びもつかの間、レギュラーにはレギュラーなりの苦悩がありました。毎週やってくる出番の中で、毎回結果を残すことは簡単ではありませんでした。ネタを探す日々、迫ってくる締め切り。内容もうまくまとめることができません。ベテランの先生方を真似してみても思うようにはいきません。どうすれば自分の納得のいくレポートがかけるのか…。

 ある時から一人の先生が「今日のランチレポートよかったよ。」と声をかけてくださるようになりました。その後も何度か褒めていただきましたが、その日のレポートには共通点があることに気付きました。それは生徒と私の何気ない日常を書いたレポートでした。自分の色がなかったために、納得のいくような内容に仕上げることができなかったのだとわかりました。飾ろうとせず、自分の色を見つけてからは今まで以上に楽しくレポートを書くことができるようになりました。

 50回生を送る会が明後日にせまり、1、2年生はあわただしく友愛館に入ってきます。3年生を気持ちよく送り出すためにもうひとふんばり頑張りましょう。大きくサクサクホクホクの牛肉コロッケ美味しかったです。

(S.KⅡ)



2020年2月25日火曜日

今日のランチ(2020.2.25)

スパゲティミートソース・ツナサラダ・牛乳・マフィン

0225

 

 

 この素晴らしいランチメニューでランチレポートを書くのは久しぶりのように思います。敬和のランチメニューの中でもインパクトの強さはNo.1だと思います。(もしも他にインパクト系のメニューがあったら筆者に教えていただきたいと思います。)一度、このセットメニューのランチレポートだけを集めて読み漁ってみたいものです。食べてないのにお腹が満たされるのではないかと変に期待してしまいます。

 このザ敬和ランチをいただいているにもかかわらず、3年生(50回生)は今日も不在です。そのことに不思議な感覚を覚えます。今年度入学した1年生(52回生)は、もう当然といった顔で自然と、このメニューを食べて友達とのおしゃべりを楽しみます。こうして世代が変わり、しかし、時が変わっても変わらないランチがそこにあり続けるのであるなと思わされました。目の覚めるようなミートソースの甘さをツナサラダで中和し、マフィンと牛乳の絶妙なコンビネーションで締める。これこそ敬和のランチです。ごちそうさまでした。

(Nm³)



2020年2月21日金曜日

今日のランチ(2020.2.21)

ホワイトカレー・野菜サラダ・玉子スープ・牛乳・フルーツゼリー

0221

 

 

 50回生を送る準備が進んでいる。今日は午後からそのための練習を生徒会、学年のそれぞれが行っている。ハレルヤの大合唱の準備。立ち位置から、パート練習、全体の合わせまで。生徒の力で作り上げるのを毎年見ていると、伝統の力の凄みを感じる。

 

 同様に教師たちも1部から3部までの準備に忙しい。遠方の寮生の保護者にとっては「入学したら、次に敬和に行くのは卒業礼拝。」という方もいらっしゃる。そのため、他所と違って敬和の卒業関連諸行事は多く、前日の寮修了礼拝を併せると、実に二日間にも及ぶ。

 

 3年間の敬和生活を振り返り、これからの人生へ力強く一歩を踏み出す卒業生に、参集した全ての人が心からの祝福を贈る。神様から祝福された卒業生が花道を出る時、見送る在校生たちは「心をこめて送った者は、心をこめて送られる者となる」と気付く。

 

 今年は、新型コロナウィルス(COVID-19)の国内感染が報じられ、その対応が難しい現状だ。最新の情報を追いながら、ぎりぎりまで難しい判断が迫られよう。それでも、どのような形であれ伝統を大切に、心をこめて送る準備は続けられる。敬和の歩みを神様が祝してくださるように、祈らずにはいられない。

(S・K)

 

 

※本日発表の卒業関連諸行事の新型コロナウイルスへの対応についてはこちら



2020年2月20日木曜日

今日のランチ(2020.2.20)

ワカメごはん・タラフライ・水菜とささみのサラダ・味噌汁・牛乳・豆乳プリン

0220

 

 

 1学年スキー教室の引率、2月入試により2週間ランチレポートをお休みしていました。

 1学年のスキー教室では、普段関わることが少ない生徒の頑張っている姿を見ることができました。同じく引率していた先生方のおかげで、ナイターだけ滑ることもできました。滑れる嬉しさの反面、脱臼の怖さを抱えていましたが、終わってから「いい顔してるね」と先生方に声をかけていただき、体を動かすことの楽しさを再確認しました。

 

 今日のランチの時間は映画の話で盛り上がりました。自分が今まで興味のなかった作品でも、人から紹介されると観てみたくなります。ジブリ作品にしか興味がありませんでしたが、ピクサーも観てみようと思います。おすすめの作品はぜひ教えてください。「これだ」という作品、お待ちしています。

 

 ランチの最後に豆乳プリンを食べ、一息つきます。今日のランチレポートのことで頭がいっぱいです。今日の午後は出張。大急ぎで仕上げます。そして午後の出張も大急ぎで向かいます。

(I.Y)



2020年2月19日水曜日

今日のランチ(2020.2.19)

そぼろビビンバ丼・もずくスープ・牛乳・フルーツポンチ

0219

 

 

 昨日は柔道大会が開催されました。高校2年生が柔道着一枚で本気で勝負するという経験はなかなかできません。その戦いを間近で見ることも貴重な経験だと思います。

 今回の大会もとても盛り上がりました。審判を任された私は観客よりもさらに近くで選手の様子を見ることができました。まさに男と男の真剣勝負。団体戦ではクラスの選抜選手5人で他クラスと戦います。女子の応援により、男子は奮起します。団体戦を終えたクラスはより結束したように見えました。個人戦も三つの階級に分けて行われました。優勝者は一人。プライドをかけた熱い戦いになりました。試合にかける思いは人それぞれだと思いますが、一番強い人を決めるというシンプルで熱くなれるイベントはそうありません。

 普段はチャラチャラしている子が本気になって戦う姿を見せてくれたり、普段はあまり目立たない子が思わぬ強さを発揮したり、不器用でもがむしゃらに技をかけて攻める姿勢を見せてくれたりと、生徒の意外な一面を見ることができ、感動しました。

 残念ながらケガをしてしまう生徒がいましたが、対戦相手やクラスメイトがすぐに駆け寄り、心配をしている姿にも驚きました。このような行動は授業の中で教わることではありません。敬和には優しい生徒が多いです。どんなに激しい試合のあともお互いに目と目を合わせ、呼吸を合わせて礼をして終わります。出場した生徒の皆さんから柔道という競技の素晴らしさを改めて教えてもらいました。

 柔道大会を終えた選手たちはぐったりしているように見えました。私もエキシビジョンマッチをやらせていただきました。久しぶりの柔道に体は疲れきっていましたが、スタミナたっぷりの美味しいそぼろビビンバ丼で体力全回復しました。

(S.KⅡ)



2020年2月18日火曜日

今日のランチ(2020.2.18)

食パン・チキンバジル焼・キャベツソテー・クリームスープ・牛乳 りんご

0218

 

 

敬和学園辞書があったとするなら、は行のところに「ハレルヤ時間」が載っているのだと思います。この時期、3年生を送る会のためにヘンデルのメサイヤからハレルヤ合唱を練習します。そのための時間が6時間目のあとに設けられ、ハレルヤ時間と呼ばれます。「今日はハレルヤ時間だった。」なんて使われ方をします。

送る会では学年ごとに3年生に歌を送るのでその練習もあって、常に歌っている感覚に陥ります。ある日のスケジュールはこのようでした。

 

6時間目「学年アワー」7時間目「ハレルヤ時間」

 

………!?アワーと時間は是非統合していただきたいと思いました。

チキンバジル焼をパンで挟んで美味しくいただきながら、こんなことを考え込む「ランチアワー」なのでした。以上,「ランチ報告」でした。

(Nm³)



2020年2月17日月曜日

今日のランチ(2020.2.17)

ごはん(しそ味ひじき)・サケ塩焼・五目きんぴら・ちゃんぽんスープ・牛乳・シュークリーム

0217

 

 

 私は今日のちゃんぽんスープが生まれた長崎を知らない。それは場所などの知識ではなく、行ったことが無いため体感として知らないということだ。そこに流れる空気や香り、人々に出会っていない。だから知らない。断片的な歴史や地理の知識も、ある程度の想像を含んでいて、知ったつもりになっていることも多々あるだろう。それを知っているとは言い切れないのだ。

 では私は何を知っているのだろう?この目の前にあるちゃんぽんの美味なるスープの成分は何か。この乳白色の正体は何か。どんな経緯で生まれたのか。そしてこれを食べている私は、私を知っているのだろうか。自分のことは自分が一番知っているというけれど、他人から見た自分を知ることは絶対にできない。ビデオで録画した自分の映像を、自分の脳を介して見る限り、完全な客観視は不可能だ。じゃあ、私とはいったい何?

 そんなことを考える間に、スープが冷めてしまう。ゆっくり啜り、あたたかさが食道を通って胃に満ちた。知らないスープを飲む知らない私。そこにあらわれるのは、いつもと変わらない知っている美味しさだった。

(M²)



2020年2月15日土曜日

今日のランチ(2020.2.15)

バターロール・クリームシチュー・野菜サラダ・牛乳・マスカットゼリー

0215

 

 

 進化生物学者のリチャード・ドーキンスは文化の伝播を“ミーム“という概念で示した。

わかりやすく言えば、「考え方や情報はヒトの脳から脳へ伝達され、広まっていく」という考え方だ。

 文化は感染する、という方がわかりよいかもしれない。習慣やファッションが病気の感染のようにどんどん広がっていくのがそれにあたる。

 

 食事の場をどう過ごすか。

 何を美味しいと思うか。

 食事とはいったいなにか。

 

敬和は食事に関する「大切ないろいろ」をランチを通して、日々、生徒に伝えていると思う。

 

・誰かとシェアしたい感動があるときはみんなで感想を語り合いながら食べると楽しい。

・同席の人を不快にしてはならない。

・会話が盛り上がっても周囲のテーブルに配慮を忘れてはならない。

・ときにはメンバーを変えても食べるのも新鮮。

・落ち着いて食べたいときは一人で食べるといい、またそれを阻止する権利は誰にもない。

・時にはほかの人の食べ方を観察し、そして自分の食べ方が美しいかどうか、客観視する。特に箸の持ち方とか姿勢とか音とか。

・ハンバーグは手ごねが美味しい。

・メニューは、すべてで1つを構成しているので、何かを欠いては効果が低下する。

・毎日、野菜が出るのは野菜嫌いへの嫌がらせではなく、野菜が必要だから。そのことに早く気付いて挑戦すべきである。

・デザートは必要。しかし食事の最後に「少し」食べるのがマナー。

・食べ物で遊ぶことは、周囲から軽蔑される「してはいけない」行為。

・割り込みは、周囲を軽んじ、尊重していない「してはいけない」行為。

・お膳は自分で片付ける。

・大量に作ったカレーをみんなで食べると美味しい。 (あ。今日はシチューだった。)

・献立を考え、手間をかけて作ってくれた人に感謝すべき。だって自分じゃ出来ないし。

・あったかいものはあったかいうちに、冷たいものは冷たいうちに食べるのが美味しい。

・好きなことでも節制が必要。欲望のままの食べすぎは肥満のもと。

・せっかくのメニューも慌ただしく食べるとおいしさが半減。

・食事はみーんなで食べるとなんか美味しい。

 

3年かけて敬和がランチで伝えることはミームとなって、敬和生から、また、誰かに伝わっていく。

(M.I)



2020年2月12日水曜日

今日のランチ(2020.2.12)

中華丼・春雨サラダ・わかめスープ・牛乳・マンゴープリン

0212

 

 

 マンゴーには菴羅(あんら)、菴摩羅(あんまら)という別名があるそうです。初めて聞きましたし、マンゴーのことを菴羅と呼ぶ人と会ったこともありません。

 私も学校ではいくつかの呼ばれ方をします。苗字に先生。名前に先生。名前にさん。名前にくん。名前にちゃん。名前を呼び捨て。よくわからないあだ名。どんな呼び方でも私はかまいませんが、時と場合、状況に応じた正しい人の呼び方は身につけておいてください。

 学校の先生の名前をフランクに呼ぶことなど、私が高校生の時は考えられませんでした。しかし、敬和ではそれが日常です。大人と子供、教師と生徒という垣根が低く、お互いがお互いの存在を認めていることがその日常に表れているのかもしれません。

(S.KⅡ)



2020年2月10日月曜日

今日のランチ(2020.2.10)

ソフト中華麺(塩野菜スープ)・ししゃもフライ・茎わかめサラダ・牛乳・バナナ

0210

 

 

 

 先週あんな文章を書いたら雪が降り始めた。私のせいだろうか。皆、「交通機関が麻痺して・・・」などと大変そうに話しているが、どこか嬉しそうである。

 

 さて今日はシシャモフライ。「シシャモ」という言葉を私たちは違和感無く使っているが、普段食べているシシャモは、実はシシャモではないという話は一度くらい耳にしたことがあるかもしれない。我々が食べるシシャモの多くは海外から輸入される「カペリン(カラフトシシャモ)」と呼ばれる代用魚である。本物のシシャモは「本シシャモ」と呼ばれる。本シシャモはほぼ北海道でしか獲れず、サイズも大きい。市場に出回る多くのシシャモはカペリンであり、今日のランチのシシャモもそうである。

 では、私たちは偽物を掴まされ、だまされていたのだろうか?私は幼少の頃からカペリンをシシャモとして親しみ、美味しく味わっていた。本州にお住まいの多くの方もそうだろう。よって、味わったことの無い本シシャモを食べてもシシャモと認識できないかもしれない。だから私にとってカペリンがシシャモであり、本シシャモこそが偽物となる。北海道の人にとってはそれが逆になる。法律上シシャモ表記で問題が無く、本物は見方によって違う。

 そもそも本物とは何か?焼失し再建した金閣寺は本物か?50年前の敬和と現在の敬和は変わらず本物か?常に流れていく川はいつも本物か?演歌歌手の歌の声、癖、節を完全コピーしたAIは本物ではないのか?そして脳細胞すら日々入れ替わっていく私たちは、本物と言えるのか?

 本物とは何か、ということに興味を持った方は、是非「テセウスの船」というパラドクスを調べてみて欲しい。そして私にとって、シシャモが本物かどうか識別する方法はシンプルに「美味いかどうか」である。その意味でこのシシャモは間違いなく本物であり、そのシシャモがランチにあることによってもたらされる楽しさは、本物以上なのだ。

(M²)



2020年2月7日金曜日

今日のランチ(2020.2.7)

オムハヤシ・生野菜サラダ・コンソメスープ・牛乳・パンプディング

0207



2020年2月6日木曜日

今日のランチ(2020.2.6)

菜めし・ハンバーグ・マッシュポテト・かぼちゃスープ・牛乳・ミニケーキ

0206

 

 

 今日は2年生進路デー2日目です。

 実は昨日初めて知ったのですが、昨日今日明日の3日間はランチが豪華なんだそうです。わけは…、想像してみて下さい。ある生徒からこの話を聞き、調理員さんにも確認してみました。事実でした。敬和でこんな事があるなんて。いつもランチを食べているのですが、そこまでメニューを吟味したことはなかったので驚きでした。

 

 さて、今日のメニュー、メインはやはりハンバーク。きのこと玉ねぎのトマトソースがかかっています。これがハンバーグの味を更に引き立てます。また一緒にあるマッシュポテト。トロリととろける感じは逸品です。そこにかぼちゃスープの攻撃。なんとも言えない美味しさのバトルが繰り広げられます。そして最後はミニケーキ。いつもより豪華なデザートです。学校なのにこんな豪華なランチが食べられるなんて。ホント、いつもより幸せです。

(S.T)



2020年2月5日水曜日

今日のランチ(2020.2.5)

焼きそば・ナムルサラダ・中華スープ・牛乳・いちご杏仁

0205

 

 

 3年生は終業、1年生はスキー教室のため、登校するのは2年生のみです。チャペルの中はガラガラでした。朝から天気が悪く、雷がゴロゴロ鳴っていました。スキー教室に引率されている先生方のいないスカスカの教務室で3年生と1年生のことを考えました。3年生は卒業式までの約一ヶ月間、進学就職に向けての準備をしているのでしょうか。自動車学校に通っているのでしょうか。友達と思う存分遊んでいるのでしょうか。わくわくな一ヶ月間だと思います。1年生は久しぶりの泊まり行事でドキドキの3日間かと思います。怪我のないように楽しんできてください。そんなことを考えているとあっという間にランチの時間になりました。お腹はぺこぺこです。いつも行列のできる友愛館も今日はすいすい進みます。今日は敬和に来て初めての焼そば。かと思っていたら一年前のこの日も焼きそばでランチレポートを書いていました。焼そばは一度に作る量に限界があるそうで2年生しかいない日の特別メニューだそうです。もちもち食感の麺と濃い目の味付けがよく絡んでいて美味しかったです。シャキシャキしたナムルサラダで口の中はさっぱり。中華スープをゴクゴクと飲み干して、〆はプルプルのいちご杏仁。たくさん食べてお腹はパンパンです。ご馳走様でした。

(S.KⅡ)



2020年2月4日火曜日

今日のランチ(2020.2.4)

ごはん(のり佃煮)・五目厚焼玉子・チンゲン菜煮浸し・味噌おでん・牛乳・蒸しケーキ

0204

 

 

 もしも「音楽」が「田楽」になったとしたらどうなるか。

 たとえば音楽には様々な分類がある。「邦楽」や「洋楽」といった分類だ。あるいは「クラシック」や「ジャズ」、「ハウス」「レゲエ」「オルタナティブ」など挙げればきりがないが、もしも音楽が「田楽」になったとしたら、これらの分類はどうなるか。たとえば次のような分類が為されると考えられる。

「味噌田楽は、邦楽」

 それはそうである。そもそも田楽というのは日本発であるからおおよその田楽は「邦楽」ということになるが、ではそこへゆくと洋楽とは何にあたるのか。それを知るためには、田楽の定義にいま一度立ち返ることが重要だ。辞書にはどのように書いてあるか。

「田楽(でんがく)は、豆腐やこんにゃく、茄子や里芋などを串に刺し、柚子や木の芽などで香りをつけた味噌を塗りつけて、焼いた料理である」

 これで分かった。つまり、洋楽というのはこういうことだ。

「バーベキュー」

 思い思いの具材を串に刺し、焼く。バーベキューこそが洋楽だ。だから、最初に日本に上陸したときなどは、日本国民は皆洋楽に夢中になった。音楽では、ビートルズが来日した際日本中がものすごいことになったが、田楽でいうビートルズは何にあたるか。

 それはもちろん「マッシュルーム」である。カットマッシュルームのバーベキューだ。音楽では成功を収めたビートルズも、田楽ではあまりうまくいかなかったようだ。田楽の世界も厳しい。

 また、現代音楽の代表ともいえる「ロック」という概念がこのころから俄かに登場するわけだが、そこへゆくと現代田楽における「ロック」とは何にあたるか。

「串に刺さずに、鉄板で焼く」

 洋楽は串に刺すタイプの古き良きクラシック田楽から様々な曲折を経て「ロック」という、串に刺さないタイプの新たな表現を手に入れた。これは田楽の歴史にとって衝撃的な発見であり、いわば革命である。このムーブメントは瞬く間に全世界に広がり、いまでは「プルコギ」や「サムギョプサル」に代表されるK-POPなど、各地で新たな田楽の文化が生まれている。

また、日本では近年、田楽の在り方が大きく変わってきた。すなわち配信やサブスクリプションに代表されるデジタル化が急速に進化を遂げたことにより、いわば現代は「田楽を消費する」時代となった。田楽を消費するのが当たり前の時代において、それでも簡単には消費されないような田楽をどのように発信していくべきか、田楽の作り手たちも頭を捻っているようである。だからこそ消費者の側にもそれなりの姿勢が求められていると感じる。すなわち、ただ次々に消費するのではなく、一つ一つの田楽をじっくりと味わいながら噛みしめようとする姿勢、それこそが田楽の作り手に対する真摯な態度なのではないだろうか。

(A.N)



2020年2月3日月曜日

今日のランチ(2020.2.3)

ごはん(ふりかけ)・サーモン香味焼・小松菜ソテー・塩ちゃんこスープ・牛乳・ミニアップルパイ

0203

 

 

 国境の長いトンネルを抜けると雪国のはずであった。しかし見よ、新潟市には雪がない。鉛色の空から降るのは時折雨。そしてみぞれ。雪の化粧を許されぬ新潟市は、むき出しのアスファルトと枯れた樹木を北風に吹きさらすのみである。

 新潟にとって雪は降り積もるものであり、戦うべき相手であり、親友でもある。好き嫌いや敵味方で語られるような単純なものではない。ルパンにとっての銭形警部、アンパンマンにとってのバイキンマン、メッシに対するロナウド。越えるべき相手であり、そしていなければなんだか物足りない。ここ新潟市でも、雪用のブーツやタイヤを装着したまま、なんだか拍子抜けした顔の人々をたくさん見た。

 3年生がいなくなった敬和も、雪のない新潟のようにどこかうら寂しい。いるとそれはそれで毎日色々なドラマが発生して大変なのだが、彼らから元気を貰っていたのも事実である。混まない友愛館で、ランチを受け取った。サーモンの美味さ、塩ちゃんこスープの温かさを十分に味わう。雪が降っても降らなくても、日常は廻っていく。ふと見ると、補講の3年生がちらほら見える。彼らも最後の戦いを繰り広げている。まだまだ油断は禁物だ。頑張れ。そう心の中でつぶやくと、ゆっくりと見えない雪が降り積もるのを幻視した。

(M²)