雑穀ごはん・赤魚照焼・切干大根煮・芋煮汁・牛乳・ミニワッフル
おれは常々、「この世にいらないものはない」と思っている。
どんな小さな存在も、神様から大切な賜物を与えられて生まれてきた。
それは恐ろしく多様なもので、人間の造った一つや二つのモノサシで測ることはできない。
その賜物を生かすことが、この世に生まれてきた意味なんだろうって。
最近思うのは、神様が与えてくれたのは、賜物だけじゃないなってこと。
一人ひとりの存在には、「欠けた部分」、つまり足りない部分も与えられているんだ。
部屋が片付けられないとか、人の気持ちが分からないとか、勉強ができないとか。
でも、それは悪いことじゃない。
欠けた部分があるから、人はどうしても誰かに助けてもらわなきゃならない。
つまりね、欠けた部分というのは、人と人を繋ぐ鍵なんだよ。
だから、欠けた部分ていうのは、とても大切なものなんだ。
敬和の子供たちを見ていると、それが良く分かる。
勉強は出来るけど、抜けている、勉強は出来ないけど人の心がよく分かる、そんな凸凹な子供たちがいっぱいいるんだ。
そんな子達がいっしょに毎日泣いたり笑ったりしながら生活している。
そこが楽しいんだよね。
一人で完璧になろうなんて、自分を追い詰めなくていい。
だいたい、そんな人間はこの世にはいない。
今日の芋煮も同じだ。
牛肉と山芋とネギとコンニャクとニンジンが自分の足りないところを助けてもらいながら、自分の良いところを出してるよ。
一つで完全な食材なんてものがあったら、そもそも料理なんてねえし。
(T.H)