2020年2月12日水曜日

今日のランチ(2020.2.12)

中華丼・春雨サラダ・わかめスープ・牛乳・マンゴープリン

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 マンゴーには菴羅(あんら)、菴摩羅(あんまら)という別名があるそうです。初めて聞きましたし、マンゴーのことを菴羅と呼ぶ人と会ったこともありません。

 私も学校ではいくつかの呼ばれ方をします。苗字に先生。名前に先生。名前にさん。名前にくん。名前にちゃん。名前を呼び捨て。よくわからないあだ名。どんな呼び方でも私はかまいませんが、時と場合、状況に応じた正しい人の呼び方は身につけておいてください。

 学校の先生の名前をフランクに呼ぶことなど、私が高校生の時は考えられませんでした。しかし、敬和ではそれが日常です。大人と子供、教師と生徒という垣根が低く、お互いがお互いの存在を認めていることがその日常に表れているのかもしれません。

(S.KⅡ)



2020年2月10日月曜日

今日のランチ(2020.2.10)

ソフト中華麺(塩野菜スープ)・ししゃもフライ・茎わかめサラダ・牛乳・バナナ

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 先週あんな文章を書いたら雪が降り始めた。私のせいだろうか。皆、「交通機関が麻痺して・・・」などと大変そうに話しているが、どこか嬉しそうである。

 

 さて今日はシシャモフライ。「シシャモ」という言葉を私たちは違和感無く使っているが、普段食べているシシャモは、実はシシャモではないという話は一度くらい耳にしたことがあるかもしれない。我々が食べるシシャモの多くは海外から輸入される「カペリン(カラフトシシャモ)」と呼ばれる代用魚である。本物のシシャモは「本シシャモ」と呼ばれる。本シシャモはほぼ北海道でしか獲れず、サイズも大きい。市場に出回る多くのシシャモはカペリンであり、今日のランチのシシャモもそうである。

 では、私たちは偽物を掴まされ、だまされていたのだろうか?私は幼少の頃からカペリンをシシャモとして親しみ、美味しく味わっていた。本州にお住まいの多くの方もそうだろう。よって、味わったことの無い本シシャモを食べてもシシャモと認識できないかもしれない。だから私にとってカペリンがシシャモであり、本シシャモこそが偽物となる。北海道の人にとってはそれが逆になる。法律上シシャモ表記で問題が無く、本物は見方によって違う。

 そもそも本物とは何か?焼失し再建した金閣寺は本物か?50年前の敬和と現在の敬和は変わらず本物か?常に流れていく川はいつも本物か?演歌歌手の歌の声、癖、節を完全コピーしたAIは本物ではないのか?そして脳細胞すら日々入れ替わっていく私たちは、本物と言えるのか?

 本物とは何か、ということに興味を持った方は、是非「テセウスの船」というパラドクスを調べてみて欲しい。そして私にとって、シシャモが本物かどうか識別する方法はシンプルに「美味いかどうか」である。その意味でこのシシャモは間違いなく本物であり、そのシシャモがランチにあることによってもたらされる楽しさは、本物以上なのだ。

(M²)



2020年2月7日金曜日

今日のランチ(2020.2.7)

オムハヤシ・生野菜サラダ・コンソメスープ・牛乳・パンプディング

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2020年2月6日木曜日

今日のランチ(2020.2.6)

菜めし・ハンバーグ・マッシュポテト・かぼちゃスープ・牛乳・ミニケーキ

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 今日は2年生進路デー2日目です。

 実は昨日初めて知ったのですが、昨日今日明日の3日間はランチが豪華なんだそうです。わけは…、想像してみて下さい。ある生徒からこの話を聞き、調理員さんにも確認してみました。事実でした。敬和でこんな事があるなんて。いつもランチを食べているのですが、そこまでメニューを吟味したことはなかったので驚きでした。

 

 さて、今日のメニュー、メインはやはりハンバーク。きのこと玉ねぎのトマトソースがかかっています。これがハンバーグの味を更に引き立てます。また一緒にあるマッシュポテト。トロリととろける感じは逸品です。そこにかぼちゃスープの攻撃。なんとも言えない美味しさのバトルが繰り広げられます。そして最後はミニケーキ。いつもより豪華なデザートです。学校なのにこんな豪華なランチが食べられるなんて。ホント、いつもより幸せです。

(S.T)



2020年2月5日水曜日

今日のランチ(2020.2.5)

焼きそば・ナムルサラダ・中華スープ・牛乳・いちご杏仁

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 3年生は終業、1年生はスキー教室のため、登校するのは2年生のみです。チャペルの中はガラガラでした。朝から天気が悪く、雷がゴロゴロ鳴っていました。スキー教室に引率されている先生方のいないスカスカの教務室で3年生と1年生のことを考えました。3年生は卒業式までの約一ヶ月間、進学就職に向けての準備をしているのでしょうか。自動車学校に通っているのでしょうか。友達と思う存分遊んでいるのでしょうか。わくわくな一ヶ月間だと思います。1年生は久しぶりの泊まり行事でドキドキの3日間かと思います。怪我のないように楽しんできてください。そんなことを考えているとあっという間にランチの時間になりました。お腹はぺこぺこです。いつも行列のできる友愛館も今日はすいすい進みます。今日は敬和に来て初めての焼そば。かと思っていたら一年前のこの日も焼きそばでランチレポートを書いていました。焼そばは一度に作る量に限界があるそうで2年生しかいない日の特別メニューだそうです。もちもち食感の麺と濃い目の味付けがよく絡んでいて美味しかったです。シャキシャキしたナムルサラダで口の中はさっぱり。中華スープをゴクゴクと飲み干して、〆はプルプルのいちご杏仁。たくさん食べてお腹はパンパンです。ご馳走様でした。

(S.KⅡ)



2020年2月4日火曜日

今日のランチ(2020.2.4)

ごはん(のり佃煮)・五目厚焼玉子・チンゲン菜煮浸し・味噌おでん・牛乳・蒸しケーキ

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 もしも「音楽」が「田楽」になったとしたらどうなるか。

 たとえば音楽には様々な分類がある。「邦楽」や「洋楽」といった分類だ。あるいは「クラシック」や「ジャズ」、「ハウス」「レゲエ」「オルタナティブ」など挙げればきりがないが、もしも音楽が「田楽」になったとしたら、これらの分類はどうなるか。たとえば次のような分類が為されると考えられる。

「味噌田楽は、邦楽」

 それはそうである。そもそも田楽というのは日本発であるからおおよその田楽は「邦楽」ということになるが、ではそこへゆくと洋楽とは何にあたるのか。それを知るためには、田楽の定義にいま一度立ち返ることが重要だ。辞書にはどのように書いてあるか。

「田楽(でんがく)は、豆腐やこんにゃく、茄子や里芋などを串に刺し、柚子や木の芽などで香りをつけた味噌を塗りつけて、焼いた料理である」

 これで分かった。つまり、洋楽というのはこういうことだ。

「バーベキュー」

 思い思いの具材を串に刺し、焼く。バーベキューこそが洋楽だ。だから、最初に日本に上陸したときなどは、日本国民は皆洋楽に夢中になった。音楽では、ビートルズが来日した際日本中がものすごいことになったが、田楽でいうビートルズは何にあたるか。

 それはもちろん「マッシュルーム」である。カットマッシュルームのバーベキューだ。音楽では成功を収めたビートルズも、田楽ではあまりうまくいかなかったようだ。田楽の世界も厳しい。

 また、現代音楽の代表ともいえる「ロック」という概念がこのころから俄かに登場するわけだが、そこへゆくと現代田楽における「ロック」とは何にあたるか。

「串に刺さずに、鉄板で焼く」

 洋楽は串に刺すタイプの古き良きクラシック田楽から様々な曲折を経て「ロック」という、串に刺さないタイプの新たな表現を手に入れた。これは田楽の歴史にとって衝撃的な発見であり、いわば革命である。このムーブメントは瞬く間に全世界に広がり、いまでは「プルコギ」や「サムギョプサル」に代表されるK-POPなど、各地で新たな田楽の文化が生まれている。

また、日本では近年、田楽の在り方が大きく変わってきた。すなわち配信やサブスクリプションに代表されるデジタル化が急速に進化を遂げたことにより、いわば現代は「田楽を消費する」時代となった。田楽を消費するのが当たり前の時代において、それでも簡単には消費されないような田楽をどのように発信していくべきか、田楽の作り手たちも頭を捻っているようである。だからこそ消費者の側にもそれなりの姿勢が求められていると感じる。すなわち、ただ次々に消費するのではなく、一つ一つの田楽をじっくりと味わいながら噛みしめようとする姿勢、それこそが田楽の作り手に対する真摯な態度なのではないだろうか。

(A.N)



2020年2月3日月曜日

今日のランチ(2020.2.3)

ごはん(ふりかけ)・サーモン香味焼・小松菜ソテー・塩ちゃんこスープ・牛乳・ミニアップルパイ

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 国境の長いトンネルを抜けると雪国のはずであった。しかし見よ、新潟市には雪がない。鉛色の空から降るのは時折雨。そしてみぞれ。雪の化粧を許されぬ新潟市は、むき出しのアスファルトと枯れた樹木を北風に吹きさらすのみである。

 新潟にとって雪は降り積もるものであり、戦うべき相手であり、親友でもある。好き嫌いや敵味方で語られるような単純なものではない。ルパンにとっての銭形警部、アンパンマンにとってのバイキンマン、メッシに対するロナウド。越えるべき相手であり、そしていなければなんだか物足りない。ここ新潟市でも、雪用のブーツやタイヤを装着したまま、なんだか拍子抜けした顔の人々をたくさん見た。

 3年生がいなくなった敬和も、雪のない新潟のようにどこかうら寂しい。いるとそれはそれで毎日色々なドラマが発生して大変なのだが、彼らから元気を貰っていたのも事実である。混まない友愛館で、ランチを受け取った。サーモンの美味さ、塩ちゃんこスープの温かさを十分に味わう。雪が降っても降らなくても、日常は廻っていく。ふと見ると、補講の3年生がちらほら見える。彼らも最後の戦いを繰り広げている。まだまだ油断は禁物だ。頑張れ。そう心の中でつぶやくと、ゆっくりと見えない雪が降り積もるのを幻視した。

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