2020年9月14日月曜日

今日のランチ(2020.9.14)

青しそごはん・まぐろ竜田揚げ・キャベツサラダ・肉豆腐・牛乳・レモンソーダゼリー

0914

 

 

 

フェスティバルが終わった。

フェスティバルとは何か。

 

フェスティバルとは響きあう個性の美しさである

フェスティバルとはリレーの一体感である

フェスティバルとは職人たちの舞台である

フェスティバルとはペルソナを被り物語ることである

フェスティバルとは針と糸の仁義なき戦いである

フェスティバルとは踊り舞うカタルシスである

フェスティバルとは長い準備である

フェスティバルとは自分が主役になれる瞬間である

フェスティバルとは晴れを願う祈りの掛け算である

フェスティバルとは友情努力勝利である

フェスティバルとは喧嘩挫折敗北である

フェスティバルとは涙であり笑顔である

フェスティバルとは爆発である

フェスティバルとは、フェスティバルである

 

フェスティバルは様々な想いを乗せて、風の如く吹き抜けていった。形は違えども、確かにそれはフェスティバルであり、敬和に熱い風が吹いたのだ。本質は何か、今ここで問うことはしない。それぞれの胸の内に答えがあればいい。そして私たちはこのフェスティバルの後を生きていく。このマグロカツに代表される敬和ランチとともに。

(M²)



2020年9月11日金曜日

今日のランチ(2020.9.11) ※フェスティバルランチ

 例年ならば6月の第一週の金・土に行われる「フェスティバル」が、今年度はコロナ禍のため今日一日で実施された。準備期間が短く様々な制約の中、一回はあきらめかけたフェスティバルを、生徒の希望を酌み本部が中心となり作り上げたものである。

 

 三密を避けるための対策として、演劇・合唱は会場を分散実施した。壇上の人数を制限する。観客と演者の距離を保つ。常時換気を行う。連合全体の合唱は24名の選抜、演劇は動きのない朗読劇である。室内での作業が制限されるため、パネル、衣装、プロフィールも取りやめや縮小、代替の「アート部門」になった。

 

 休校期間中、複数回行われた職員会議と関係者会議。教師からは「生徒の成長の機会の喪失」「受け継いできたものが失われる」などの意見と「授業時間の確保が最優先」「実施することで生じるリスクはとれない」などの意見がぶつかり合った。しかし、決まった意見は「生徒の気持ちを聞こう」というものだった。

 

 今年のフェスティバルはオープンスクールの中学生はいない。PTAを中心とした保護者の観覧もない。卒業生の来校も禁止され、ゆかり会の皆さんが焼くトウモロコシも五平餅も、バザーもない。例年の来校者1000人を超えるフェスティバルはない。しかし、生徒が自ら作り上げる伝統は確実に継承された。

 

 やり終えた生徒の表情は、悔しさ、喪失感、感謝、尊敬、様々な感情が入り混じっていた。「敬和の行事は思い出作りのためにやるのではない。ぶつかり悩むことも含め、皆さんの成長の機会として行われる学びの時なのだ。」小西前校長の言葉が思い出された一日である。

(S・K)

 

IMG_0593



2020年9月10日木曜日

今日のランチ(2020.9.10)

炊き込みごはん・サバ照焼・ひじき煮・塩野菜スープ・牛乳・米粉タルト

0910

 

 

昨日の新潟は雷がすごかったです。ピカッと光ってから直後にドーン。かなり近いところに雷が落ちてるなと感じました。雲のなかで粒子が擦れあったときに静電気が生じて、その静電気の量が許容範囲を超えてしまうとドーンと地上に放出されます。これが雷さんです。エネルギー量は数億ボルトになるとか。そういえばピカチュウは10まんボルトの電気を放電できるんだったよなあと懐かしくなりました。いやはや、おっかない生き物、いやポケモンです。

今日のランチはサバでした。青光りしたサバを一口食べると旨さで体に電流が流れます。この旨さは10まんボルト!完全にやられてまいました。おなかに栄養をゲットして、午後も頑張ります。

(Nm³)

 



2020年9月9日水曜日

今日のランチ(2020.9.9)

ごはん(のり佃煮)・豚肉生姜焼・もやしソテー・味噌汁・牛乳・冷凍パイン

0909

 

 

 

 ジンジャーエールの「ジンジャー」が生姜を指していると知った時の衝撃。小学生のキャパを超えた領域まで何かがはみ出してきて、驚いたことを覚えている。言われてみれば、名前の半分が生姜。これで生姜が使われていないという方が驚きだ。でも案外、こういうものだ、と思い込んでしまっているものは多い。

 高校生の私のもとに、衝撃をもって飛び込んできた事実は「教師」も人間である、ということ。知ったというよりは実感したと言うべきか。それまで、教師は教師という生き物だと思い込んでいた。先生も泣くんだ、謝るんだ。先生も悩んだりするんだ。今度の驚きはガーンと衝突してくるものではなくて、じわじわ。染みわたってくるものだった。

 たくさんの生徒を前にして「ごめんなさい」と頭を下げるある教師の姿に、正直戸惑いを隠せなかった。すごい、と思った。そんな先生たちと過ごした私の高校生活は、まぁ、素敵だった。キラキラはしていないけど、素敵だった。

 

 今日のランチは生姜焼き。目の前をほくほくした顔の生徒が通り過ぎた。大事そうにごはん茶碗を抱えている。大盛りの白飯の上におかわりの生姜焼きが乗っかっていた。素敵!

(M.A)



2020年9月8日火曜日

今日のランチ(2020.9.8)

菜めし・イカカツ・ポテトサラダ・けんちん汁・牛乳・ミニ鯛焼

0908

 

 

 今日のランチデザートは「ミニたい焼き」。メニューもさることながらなかなかの存在感。

昔からあんこ絡みの和菓子は親しまれているけど、なぜ「鯛」なのか?多少疑問は沸く。

鯛と言えばめでたい時に食べられる魚。発売当時、全く魚の鯛とは別物でも小銭で「鯛」という名前のモノが食べられる!という意味で急にヒットしたらしい。

中身や製法が一緒でもその形に変化があり。「鯛焼き」の前は「ウサギ焼き」その前が「亀焼き」。確かにウサギや亀は個人的に食べたいとは思えない。

そういえば一昔、二昔前に「泳げ!たいやきくん」という歌が流行した。

ある意味、「泳いでいる鯛」の応援ソングとも言える。

 フェスティバルが近い。

 生徒達には「熱い鉄板に焼かれても、焼かれても、必死に泳いでいる」という歌の内容のように「たいやきくん」からのエネルギーを感じてほしい。

 「鯛」がお膳に並ぶようなおめでたい事があった日のように、鯛を頭からガブっと食し、どんなに縮小された行事でも、フェスティバル開催を喜びたい。

(A.K)



2020年9月7日月曜日

今日のランチ(2020.9.7)

スパゲッティミートソース・野菜サラダ・牛乳・フルーツゼリー

0907

 

 

 先週末、休日に登校してダンスや衣装など各部門で活動する生徒たちの様子を見ていると、ようやくフェスティバルがやって来る!という実感が湧いた。そもそも休日の準備日自体が去年よりもずっと少ないのだが、いつも部活に来るのとは違うメンツが登校し、協力しあっている様子を見ると、非日常感や特別感を肌で感じた。

 どのような仕事、学習、イベントにおいても準備段階で8割は勝負が決しているといえる。計画性と段取りと、チームワーク。準備が登山なら、本番は頂上に旗を立てることだ。どの高さまで上がれるのか、何人でたどり着くのか、どんな旗を立てるのか、華々しい一瞬のために長い長い下積みと努力が要る。そして先輩たちの登頂の背中を後輩たちが見ている。

 金曜日、フェスティバルがやって来る。登り切って、頂上からいい風景を眺めてほしい。その様子を想像しながら、山の中腹で腰を下ろし皆で食べるこのスパゲティは、格別な美味さだった。

(M²)



2020年9月4日金曜日

今日のランチ(2020.9.4)

ごはん(しそ味ひじき)・厚焼玉子・切干大根煮・ちゃんぽんスープ・牛乳・冷凍みかん

0904

 

 

※昨日のレンチレポートのなぞかけはお分かりになっただろうか? 

 答え:〇〇〇=のろい、でした。

 

 

 

 始業して10日が過ぎた。新型コロナウイルス感染防止対策として、経過観察期間を設け生徒の行動を制限し、熱発者は帰宅・隔離をしながら慎重に生徒の健康観察を続けているが、概ね順調に推移していることに安堵している。生徒の、殊に寮生の利他を考えて行動できる姿に救われる日々だ。

 

 ところで、このウイルスは様々なものをあぶりだしたのではないか。私たちが頼りにし、世界でも優れていると誇りにしていた医療は、実は現場の限界を超えた献身に頼るしかないほど制度疲労しており、パンデミックでいともたやすく崩壊してしまう脆弱さだったことが分かった。

 

 強大な権力を持つ国が、この困難に直面してもなお「経済を回す」以外の策もなく、「自粛」というあいまいな表現で我々の行動を縛り、互いを監視するような雰囲気を醸成する。休業補償や給付金の前に布マスクが2枚届くという迷走ぶりは、もはやこの国が衰退期であることを思い知らされた。

 

 何よりも、恐怖や無知が生む差別がいともたやすく私たちの日常を分断していく様は、教育に携わる者として無力感にさいなまれるだけであった。感染者の家に石が投げ込まれる、誹謗中傷のビラが匿名でまかれる、県外寮生への根拠のない不安。私たちは過去から何を学んだのだろう。

 

 分断ではなく共生・共働・共育の大切さをどのように育んでいくのか。本物に触れ、互いの目を見て考えをぶつけあうことを大切な教育の柱に据える敬和では、リモートにならないような創意工夫が求められている。神はこのコロナ禍から私たちに何を学ばせようとしているのだろうか?

(S・K)