2022年2月7日月曜日

今日のランチ(2022.2.7)

ごはん(しそ味ひじき)・サケ塩焼・五目きんぴら・ちゃんぽんスープ・牛乳・みかん

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 今日のメインは鮭の塩焼き。サケが正しいのかシャケが正しいのか?言いやすいのはシャケであるが、パソコンを打てばどちらも鮭と変換される。大したものだ。いろんな機能がありすぎて使いこなせていないが、ワープロだけでパソコンはナント便利なものか。

 

 私のコンプレックスは字の汚さだ。いくら丁寧に書いてもキレイにかけない。字の汚さは練習をすればきれいになれると聞いたもんだから、通信講座で3万円払って教材を取り寄せた。小学生の国語のノートみたいなのと、ひらがなから漢字まで薄く書かれた字をなぞるノートが何冊も届いた。「美しく書けるボールペン字」なる通信講座は引っ越しの時から開けられていない段ボールのどこかに入っているはずだ。少し練習したが、すぐに妥協した。そもそもお手本の字をなぞることができない。不思議なことにただなぞればいいだけなのに、それをなぞることができない。これは字が汚い人ならば絶対にあるあるの一つだと思う。そう、何をしたって字をきれいに書くことは不可能なのである。

 

 大学の卒業論文「柔道とキリスト教の接点と止揚」自分なりには最高な仕上がりであった気がするが、恩師に字の汚さに読むことができないと叱られたのを思い出した。あの時に、今のようにワープロなるものを使いこなせることができていたならば、どれだけ便利であったか。今の世の中は便利である。ほとんどパソコンで済ませることができる。字を書かず、文章を考えてそれをただ打てばいいだけだ。考えることは大好きだ。体育の教師で、体育学部武道学科を出てはいるが、考えるのは全く苦でない。そしてそれを打てばいいだけ。これを紙に書けと言われたら、たちまち私は何もできなくなってしまう。字が汚いってのは本当に不便である。そしてこれは練習では克服できない。絶対に遺伝だ。私の父親が学生の時使っていた辞書に私と全く同じ字が書いてあった。まるで自分が書いたのかと目を疑った。しかし私は辞書に文字を書くほど勉強などしたことない。親父の字である。それが遺伝である何よりの根拠。

 

 今日のおいしいランチを口にして、そのためのエネルギーを補給だ。鮭の塩気でご飯が進む。当然皮までおいしくいただいた。ちゃんぽんスープに目をやると、久しぶりに見た黒い物体。間違いない、ここに奴がいる。シイタケだ。最近、見ていないので油断していた。しかし、今日の奴は小さい。思い切って口の中に入れた。かまずに飲みこんだ。味はない。スープはうまい。このスープ、奴のうまみがきいているのだろう。スープとご飯のおかわりだ。スープのおかわりには気を遣う。シイタケをよけるためだ。しかし、これで本当にいいのだろうか?これでは何も成長していない。シイタケをよける弱い自分のままでは、またあの教材が無駄になる。一切れのシイタケをよそい今日もおいしくいただいた。

(S.M)