菜めし・サバ竜田揚げ・マカロニサラダ・芋煮・牛乳・冷凍パイン
今日からテストが始まった。
テストに苦しむ生徒も多いが、テストはある意味では最も公平な制度だ。古くさかのぼれば6世紀ごろの中国の科挙に端を発する。当時官吏は世襲制が当たり前。ワイロが横行し腐敗を極めた。その中で本当に能力が高いものを見極めるため生まれたのが、身分関係ない一斉試験の科挙だった。その残酷なまでの公平性は当時評判高く、18世紀までは貴族の世襲制が当たり前だったヨーロッパでも紹介された。ただし内容は非常に厳しく、二日間にわたる泊まり込み試験では心身に不調をきたすもの、幻覚を見るもの、様々な幽霊、怪談話が残っている。
テストの存在しない世界になったとき、そこに待っているのは生まれによって職業と身分が決まる世界である。では、テストは「最も」公平な評価であるか。もちろんこれも違う。科挙に合格するのは記憶力がよく、親が金持ちで勉強できる環境が整った人々であった。彼らが実務能力が高いかと言えばそれもまた違う話。敬和でももちろん、テストでは測れない魅力を備えた生徒が数多くいる。ではテストは何のためにあるか。その結果を自分自身の努力の証とするためではないだろうか。普段20点台の人が50点も取れば大きな進歩だ。逆にいつも90点の人が60点を取れば、失意に沈むだろう。結果は見る人間によって相対化される。どんなペースであれ、自分なりに前進し続けること。昨日の自分に打ち克つこと。これが大事だ。だからいつも授業中に寝ている人が「テスト頑張ればいいんでしょ」と言っても通用しない。それは退化なのである。点数によって私たちは成績を、評価をつける。それはあなたの頑張りが客観的に見て、どのあたりにいるのか示すため。しかし、人生の採点基準は、自分自身の中に見つけるしかない。誰が何と言おうとも幸せな人生だと胸を張るためには、自分自身から逃げてはならない。未来の自分を捕まえに、探しに行く前向きな力が要る。今日はサバだ。ゴマとのハーモニーを楽しみながら、4限のテストに備える彼らを見る。がんばれ、自分の人生をつかみ取るんだ、そう心から願う。
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