キムタクごはん・中華スープ・牛乳・杏仁フルーツ
(承前)36回生を卒業させた後、担任15年連続を終え、一息つく暇もなく生活指導主任を仰せつかった。人使いの荒い学園だ。ただ、担任とは違う視点で生徒と接することができたことや、様々な研修にも出ることができて感謝している。その後、再び担任をしたのが44回生である。学年主任もついてきた。
2011年に入学した彼らは、必然的に「東日本大震災」と向き合う学年となった。その多くがこの世に生を受けた1995年は阪神淡路大震災が起きた年だ。学年テーマが「Do for Others」に決まったのも、み言葉が担任団の願いとなって現れたのだと思う。宗教部が企画立案した被災地支援労作。生徒と一緒に東北を何度訪ねただろう。
3年次の修養会。全員で被災地を訪ねることになったが、反対意見もあった。「平和学習ならともかく、何のために被災地へ赴くのか?」「自然災害は善悪では語れない。生徒に何を気づかせ、考えさせるのか?」喧々諤々の学年会は毎回夜遅くまで続いた。学年主任として前のめり過ぎたのかもしれない。
前のめりなのはフェスティバルの準備の時もそうだった。コミュニケーション不足でギスギスした時「よしっ!今日の労作は全員ミーティングだ。フェス後のLHRを労作に振替だ。」そんな勝手が許されるはずはなく、フェス本部にばれた六甲連合は全活動一日停止のご指導を受けた。生徒にひたすら謝ったのは言うまでもない。
(S・K)