ドリア風ピラフ・グリーンサラダ・コンソメスープ・牛乳・ミニケーキ
彼はいつも、ランチホールで生徒が戻した牛乳瓶をケースに整える。
今朝の礼拝のお話で、最後に「さようなら」と言った彼の「それ」を見るのは、今日で最後なのか、と思うと、やはり感傷的になる。
いつもの風景がいつまでも続くものではない。諸行無常。もう自分は若くもないし、頭では理解しているのだけれど。
高校の生徒は3年で入れ替わる。春の初めに去っていき、桜とともにやってくる。同じ春は一度もない。
私の知っている生徒はいつも15歳から18歳までの彼らだ。
人生という道を、ただひたすらに前を向いて進む15歳の、陶器のように白く手首の細い少年少女。その傍らを3年間一緒に歩く伴走者が教師の生き方だ。
彼らはみな、未来を向いてただひたすらに歩いていく。
伴走者である私は18歳と書かれた白線の向こうに一緒には行けない。
白線を越えて前に進んでいく彼らの背中を見送って、
私はまた15歳と書かれた白線に戻り、彼方から歩いてきた新たな彼らの傍らに立ち、3年間の伴走を始める。
学校は針が飛ぶレコードのように何度でも「15歳から18歳」を繰り返すガラスドームのタイムマシンで、教師はその中の人だ、と感じる。
少年少女だった彼らが成長し、社会人となり、家庭を持ち、親として踏ん張っていてもなお、私には16歳だった頃の表情しか思い浮かばない。彼らは私の中ではいつまでもあの頃の彼らだ。
生徒はみな、3年間かけてガラスドームの中を通り過ぎていく。
教師である私たちは彼らの人生の「15歳から18歳」に囚われている。
私たちは「ここ」にいる。
地球の、日本の、新潟の「ここ」。
そして、彼らの人生の15歳から18歳の、「ここ」。
今日で1年間が終わり、明日は終業日。
3月に卒業を迎えた彼らも、そろそろ18歳の白線を越える頃。
新潟市内のどこかで桜が咲いたと昨日のニュースで報じていました。
今日の1年間お疲れ様のランチには、ご褒美にケーキ。
今日のランチが最後のご退職の先生方にも、お疲れ様の甘酸っぱいベリーのケーキ。
ご退職の皆様
ともにガラスドームの中で過ごした日々を、どうか忘れないで。
どうかお元気で。
ありがとうございました。
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
Merci pour tout.
Je vous souhaite santé, bonheur et succès dans votre vie.
(M.I)