筍ごはん・豚肉生姜焼・野菜ソテー・味噌汁・牛乳・オレンジ
今年は1年生の労作のお手伝いをしている。労作とはなんぞや、という顔をしている新入生に、担任が懸命に労作の精神を語るのを脇で聞いている。「賜物」「献身」「他者」「共生」などをキーワードに語る若い先生を頼もしく拝見しながら、生徒たちが労作精神を理解するのには3年かかるだろうな、と思っている。
「こんな仕事させて。」「ただ働きなんて信じられない。」「堆肥は汚くて触りたくない。」「虫が嫌いetc。」生徒が労作を嫌う理由は様々だが、一番の理由は「仕事させておいてなんの見返りもないのか」というものである。小さいころから「これをやったらいい評価がもらえる」「いい評価がもらえるといい学校に行ける」式の考え方が染みついているのだろうか。
新自由主義経済では、教育は払った金額に見合う対価を求められる。高い学費払っているのだから、学力をつけろ。これだけやったらこれだけの評価がつくべきだ。しかし、教育は経済とは違うしサービス業でもない。どれだけやっても結果が出るとは限らない。また、その効果が表れるのは、長い人生のいつになるか誰にも分からない。
教育は人格の形成に資するもの。評価はお金で買うものではない。労作はそのことを学ぶ授業だ。私の労作の師匠はあるときこんなことをおっしゃっていた。「掃除のときクラスの廊下を掃くよね。うちはここまで、ここから先は向こうのクラスってやると、間に埃が残る。だから、少しだけ向こうのクラスの部分と重なりを作るように掃くんだ。その気持ち、行動が労作なんだよ。」
(S・K)