食パン・タンドリーチキン・レタスサラダ・クリームスープ・牛乳・フルーチェ
ワカメごはん・鶏から揚げ・キャベツサラダ・味噌汁・牛乳・オレンジ
今日のランチはから揚げだ。労作で玉ねぎの収穫をしているときに、「今日のランチはから揚げだ~!」と一人の生徒が叫ぶと、周りにいた数人の生徒が「やったー!」と声をあげる。から揚げと聞いただけでおなかが空いたようで、「腹減ったー!」と続いた。「空腹こそ最高の調味料」そんな格言があるが、彼らにとって今日のランチは最高であるに違いない。
確かに、敬和のランチメニューでもから揚げはトップ3に食い込む人気メニューだ。から揚げと言えば、子供は誰でもよろこぶに違いない。我が家も例外ではない。
子供たちに今日の夕食は?と問うと必ず出てくる。しかし、聞いたはいいが揚げ物を作るには勇気がいる。過去に自分の指を揚げてしまった経験があるからだ。よって、つい最近まで、から揚げを食べたいと言い出し、妻の帰りが遅くて私が料理をするときには、流行の店から揚げを買ってきて、まるで自分で揚げたかのようにお皿に盛って千切りのキャベツを添える。親父の作るから揚げは母親のものよりもうまいらしい。そりゃそうである。
が、先日、大手スーパーでその店のから揚げのあげる前の状態のもの。調味料に漬け込んである鶏肉が冷凍されていて、解凍して唐揚げ粉をつけ自分であげるものを見つけた。けっこう値は張る。たしか500グラムで千円だ。しかし、出来上がったものを買うよりは安い。子だくさんの我が家には3つは必要。意を決し、数年ぶりに揚げ物に挑戦した。指をあぶらに入れないようにと、上から鶏肉をインすると、かなりの勢いであぶらが跳ね上がる。コンロはもう油まみれだ。このままにしておくと間違いなく怒られる。片づけをちゃんとやろうと心にとめておきながら、鶏肉を揚げていく。備え付けの野菜はスーパーで買ってきた千切り状態のキャベツだ。それにインスタントのみそ汁をお湯でとく。炊きあがったご飯をよそぐ。完璧なから揚げ定食。さて、お味は?1500グラムのから揚げは一瞬でなくなった。残り物を食べるつもりでいたが、残らなかった。感想を聞くと当然、「おいしかった」とかえってきた。
すでに味付けられたものとはいえ、自分で揚げるという手間をかけた料理が「うまい」と言われ、言われるだけでなく、すべてが食べつくされるというのは、本当にうれしい。出来上がったから揚げを買ってきて、偽って自分が作ったと言い張り、それがおいしいといわれるのとは比べ物にはならない。この嬉しさが、次は味付けも自分でという意欲を駆り立てた。そして子供たちが喜ぶ顔を見るためにとそのための手間をかける。だからおいしいはずである。
手間をかけた料理はうまい。だから敬和のランチはうまい。うまいといわれるために手間をかけてくれている。そのことを今日のから揚げは改めて気が付かせてくれた。
(S.M)
もち麦ごはん・厚焼玉子・ひじき煮・けんちん汁・牛乳・ミニクレープ
久しぶりにランチを口にした気がする。なんだかんだでお昼ご飯を食べる時間がない自分がいたことに気が付いた。だからと言って、お腹についた贅沢なお肉がそぎ落ちたかというと、そうではない。晩御飯まで我慢しきれない私は途中のラーメン屋さんでラーメン大盛りを毎日のように食していた。そして帰ってから夕食を食べていた。やっぱり敬和のランチはいろんなもののバランスを整えるためには必要なものだ。
特に今日のランチには大好きなひじきの煮物が添えられている。来月には48歳になる私の頭の毛が、細く薄くなってきている気がしてたまらない今日この頃。そんな私にはぴったりの食材である。
ひと月ほど前に、ランチを食べる場所に「おひとり様専用」が暗黙の了解で設けられているという事実を知った。友愛館の一番奥の窓側の席である。知ったきっかけは、ある女子生徒がランチを食べているときに、「先生あの人たちを何とかしてください」の一言である。しかし、ひと月ほど前の私は「おひとり様専用」の存在を知らなかった。暗黙の了解でそうなってる、その席に1年生の数人の男子が陣取っていたのだ。陣取っていたと書けば少し悪気がある感じがするが、1年生のかれらも暗黙の了解はまだ知らない。空いている席に仲間と座っていただけである。私自身もその生徒たちを何とかしろと言われても、暗黙の了解を知らないその状態では何を注意したらいいのかさっぱりだった。しかし、私に懇願してきた彼女はおそらく、いつものおひとり様席に座ろうとしていた生徒を気遣かった行動であったに違いない。
ひと月前のその時は、全く理解できなかった私は、彼女の言いたいことをさっぱり理解できず、結果彼女はあきらめて食事に戻った。何も知らなかったとはいえ、彼女の気遣いを無下にしてしまった。今の自分は自戒の念に満ちている。しかし、そうやって周りを気遣い、教師を頼ってくるそんな生徒がいることは本当にうれしい。その思いにあの時しっかり答えることができたならば完璧だったが……。彼女こそなんとも敬和らしい生徒であることに間違いない。
敬和らしいといえば、フェスティバルの最後でもその一幕を見ることができた。最後のエンディングで一番泣いたのは、総合優勝したクラスの総合チーフではなく、残念ながら一番最後になってしまった雲仙連合の総合チーフだ。彼はこらえきれなくなった涙を力いっぱい流しながら、一緒に取り組んできた仲間たちに感謝を述べていた。最後になってふてくされて、悔しくて泣いたのではなく、最後でも感謝の思いがあふれかえった涙だ。あの涙に私の胸も熱くなった。これも敬和らしさの一幕に違いない。
そんな敬和らしさは今も昔もここにはたくさんある。その一つを多く見つけようとする学園生活はたまらなく楽しいものである。
(S.M)